村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」の米アマゾン評価レビューの和訳








海外では、ねじまき鳥が村上作品のなかで一番評価されているようです。
彼らはこのあまりに奇妙な作品のどこに感銘を受けたのでしょうか?

以下ネタバレが含まれますので、ご注意下さい。 米アマゾンからご紹介。現時点で総350レビューあり、星平均4.3です。

★★★★★「漢字に埋めつくされ、和紙に包まれたその中身は、」(長野)
私はねじまき鳥の読書中に、他の人がこの本をどう受け取ったのか知りたくて、いくつかレビューを読んでみたが、残念ながらストーリーをばらすようなものがたくさんあった。全く、事前に話の流れを知ることは最善とは思えない。この本はおそらく、まずは読んでみないことにはちゃんと理解できるような本ではない。さらにそのような分析は、この本の貴重な初体験を損なうだけだ。

ねじまき鳥クロニクルとの出会いは、初めて繊細な折り鶴を目の当たりにするようなものだ。まず始めから、どうしてこの本がこのような形で進んでいくのか不思議に思う。あなたはその構造の秘密を知りたくなる。そのためには、ゆっくりと慎重に作業する必要がある。細心の配慮と注意で、その折り重なったものを元に戻さなくてはならない。この本を、美しく束ねた品格のあるものにしている、精巧に折り込まれた所を突き止めるために。ねじまき鳥を読むことは、大きくてより複雑な折り鶴を展開するようなものだ。実際とても複雑で、全ページに渡って折り目のついた全体部を目の前に広げられたら、とても混乱するだろう。あなたも私のように、その折り鶴全体を元に戻す方法を解明しようとして、数週間から数ヶ月を費やすかもしれない。

以下でそれほどネタバレすることなく、私が没頭し夢中になったことを共有したい。

*私たちの人生におけるすべての経験は、とても深い哲学的意味を含んでいるという事。

*人生の不可思議さと、運命は偶然で気まぐれだと知ったこと。住む場所や生まれた家族は、私たちを導いてくれる所与のもので、結局は選択できるものではない事。

*ひとりの人間が、他のひとりの人間についてどの程度、十全に理解できるのかを問う事。道ですれ違う通りすがりの人から、隣のベッドで寝ている大切な人まで。

*夢と目覚めている生活の間には、深くて複雑なつながりがある事。さらにどのようにして、現実と呼ばれる縫い目のない織物のなかで、この2つの現実感が互いに影響し、渾然一体となっているのかを知る事。

* 人生をより深く理解することは、干上がった井戸の底で、深く瞑想してトランス状態に入ることでしか得られないかもしれない事。

* 最後にこの本は、物語が歴史的事実を伝える最良のツールであることを十分に実感させる。第二次世界大戦中に満州における日本の関与についての沢山の調査をした後、おそらく村上は、ノンフィクションの歴史的文書からほぼ省略されている所に、声を与えうる最良の位置にいると、たとえ変に聞こえたとしても私はそう確信している。なぜなら単に歴史(ほぼ無限にある)は決して完全には明らかにされないし、または限定された当てにならない半端な歴史家によって語られるくらいだからだ。
(登場人物の名前に関する長い考察は省略)

この本についてもう話すことはないし、こんなレビューで解明するには複雑すぎる。この本があなたに向いた本かどうかを知りたければ、ちょうど10分だけ読み込んでみるといい。ちゃんと集中したなら、わずか10分からでも、いかに沢山のことが得られるのか驚いてしまう。この本は私と同様にあなたを夢中にさせ、その価値があると信じている。気軽にコメントしてくれたり、どう感じたかを教えてほしいな。そうしてくれたら嬉しいよ。



次は快刀乱麻を断つ感想です。

★★★★★「万華鏡さながらの、統率された舞踏会」(テキサス)
別のレビューにもあるが、村上の"ねじまき鳥クロニクル"は、主要な登場人物が偶然、各々単独の出来事に巻き込まれ、その散乱したものをつなげて寄せ集めたものでは決してない。この本は、悪意とそれにどう対峙するのかという、一つの明確な主張がある。

悪は、あまりに文化的側面に左右される概念だが、悪は罪なのか? 多分一神教の文化ではそうかもしれない。しかし村上の小説世界--村上ワールドは日本の宗教、文化、そして芸術に関する多くの考察が尽きないのが特徴--では、悪を"汚れ(けがれ)"として捉えると、より深い洞察を得られる。この言葉はルービンの翻訳で度々使用される用語だ。汚れが、全ての登場人物を結びつけている。各人物が何らかの方法で洗い落とそうとしている内部の不浄なもの。泥のような灰色のかたまりとしての死が、物質として現れるという笠原メイの考え方は、とてもはっきりしたイメージであり、岡田トオルの人生に関わる全ての人に取り憑いている、容赦ない亡霊のようなイメージに重なる。それは悔いや罪悪感ではない。感情の傷跡ではない。それは人の生命を汚染し、圧倒的に脅かすような実体として触知できる身の毛もよだつものだ。それは洗い落とさねばならないし、触れればどんなものでも破壊する。

汚れはこの作品を決定づける特徴であり、登場人物の大まかな2つの役割として機能する。それは、汚す側と汚される側だ。クミコの兄(綿谷ノボル)は汚す側の原型で、クミコ自身は汚される側の原型だ。汚れは性質として分散するため、混乱が発生して2つの立場の境界線がぼやけだし、一度久美子自身が汚されると、彼女はそれを周りの人々に、おもに主人公の彼女の夫トオルに拡散する。

三番目のタイプはトオルで、すべての汚れを吸収する見事な性質をもつ。その広がりを止める方法を見つけ、それを洗い落とすために汚れを浄化しようとする。だがトオルの素晴らしい素質でも容易には勝てない。 "ねじまき鳥"全体は、浄化の仕方を学ぶために、汚す側と汚される側の多様な側面に出くわして、他人の汚れを何度も味わわされる非常に困難な道中を描いている。

ある意味、"ねじまき鳥"は古典的な愛の三角関係であるが、しかしそれは原型モデルとして作り出されている。汚される側を巡って、汚す側と清める側は、争い奪い合う。原型モデルを縮小すると、全ての汚す側の人物と、全ての汚される側の人物は、機能的には同じだ。加納マルタと加納クレタ、笠原メイと間宮中尉は、全員汚される側だ。綿谷ノボルとロシアの諜報員、電話の女と野球バットを持った男は、全員汚す側だ。外観は変わっても、機能は同じままだ。すべての物語の中でトオルは、クミコのために戦っている。破壊されるがままの彼女の汚れを洗い落とそうとする。綿谷ノボルはあらゆる方向に手を伸ばして、彼の邪悪な(冒涜的な)知恵で全てのものを汚そうとする。

一度この登場人物たちの間の、薄い物理的境界が消えてしまうと、小説の中心は一つの白熱した激しさを放つ。それはまるで火炎のように何もかも焼き尽くすので、村上はいろんな外観をもたせた登場人物たちの中に、その火をおおい隠す必要があった。また、汚す側と汚される側にとても多くの顔を与えることによって、彼は読者が彼らの内のどれか一つに感応できるように保険をかけている。その汚れのなかの一つは自己認識へとつながり、導いてくれる。まさにここに、この小説の偉大な人間に対する深い理解がある。非常に多くの読者にとって、ここは非常に興味をそそられる部分で、これがただの出来の良い作り話以上のものにしている。

結局、トオルはクミコに(...略)。しかし彼は完全に彼自身を取り戻していた。彼にはゆるぎない決意が満ち溢れている。その水は、ずっと干上がっていた井戸にもすいすいと流れていく。



もつれた糸を解きほぐすような見事なレビューですが、これを読んでも分かりにくいなら私の訳が拙いからです。ぜひスマートな原文でご確認下さい。軽く調べてみたら大学教授の方でした。日本にも2年ほどいて能楽など学んでいたようです。この感想にはたくさんコメントが寄せられています。

・素晴らしく役に立つ解釈であり、私がこの本について感じた、多くの整理出来なかった考えを、上手く言葉に置き換えてくれている。

・すごいレビューだけど、これから読む人にとっては、ネタバレちゃったよ!

・ここで同じような感想を共有できるなんて興味深い。ずいぶん前に出版された直後に、私はこの本を読んだ。この本のテーマは明白だが、その意味はぼんやりとでも消化できるものだと思う。

・あなたの解釈は素晴らしい。その知性と感受性を高く評価している。あなたの他のレビューも読んでみたいと思いました。

・汚される側 VS 汚す側、善 VS 悪の解釈はあまりに短絡的すぎる。この世界には白黒はっきりしたもの以上に、グレーな側面がある。この小説の解釈に説得力を持たせるには、すべての女性キャラクターとトオルとの関係性を精査する必要がある。私が思うに、その登場人物全てが彼に内在するものであり、私は読みながらこれらの女性全てが、果たして存在しているのかどうかさえ疑問に思う。彼らは内側に包まれて、互いの周りを回っている。結局私は、トオルが周りの女性を理解するには感覚的な欠陥があるように思う。おそらくこれは、彼が自分自身を理解できないことから生じている。いずれにしても、これはトオルの個人的な自分自身への旅であり、確かに善/悪を絶対的関係として捉えようとするよりもはるかに説得力のある、この"汚す側/汚される側"の関係を、トオルが理解する旅であると思った。おそらく村上は、善悪が持つ相対的側面ついて述べているはずだ。

・おい...結末をネタバレされるのは我慢ならない。

・感謝!感激!僕は本当に何の解答も得られず、どう理解すればいいんだ?状態で、まさにこれが必要だった。物語は僕の中でバラバラだったんだ!それは起こったことなのか、夢だったのか? 他の人の感想にもあるけど、重大な部分が削られているとは。ほんと出版社に感謝だよ!!!



個人的に深い人間への理解には納得。でもこの作品は他のコメントにあるように、確かに白黒つけられる代物ではないですね。次はこの英訳版が、オリジナルよりもかなりカットされていることに関して。

★★★★★「楽しませる本 -- とはいえ、短縮された英訳版」(ロサンゼルス)
前の多くのレビューですぐれた議論がなされているので、私はここでそれを繰り返すことはしない。しかし前のレビューで足りないことはアメリカのクノプフ出版社ことで、村上と翻訳家のジェイ・ルービンに日本語の原文からかなりの量を削れと強制した。一般読者はこのことを知るよしもないし、私は英語訳とロシア語訳の本を交互に、章ごと読み比べていたので気がついた。小説を半分過ぎて、全体の章から突然英語のテキストが消え始めた。困惑して私は、英語版の著作権表示のページに戻ってそこで初めて、”日本語の全訳版ではなく省略版(adapted)”というクノプフの表記に気付いた。

いったい原文からどのくらい省略されているのか?私は日本は読めないが、全訳のように思えるロシア語訳(ロシアの出版社が数々の受賞作にそのような無礼は行わないだろう)との比較してみると、テキストの15-20%くらいがカットされているようだ。ねじまき鳥の英語テキストが、途切れ途切れで不可解だったり、ちょっと不備があるように思えるなら、すくなくともその非の一部は、アメリカの読者には長い本が読み切れないと、一方的に判断したアメリカの出版社にある。

いずれにせよ私の結論は、なんの不自由がなければ英語以外の翻訳で、"ねじまき鳥クロニクル"を読んでみて。それが出来ないなら、ルービンの全訳版の出版を要求しよう。



この感想にもかなりのコメントが寄せられています。また少し抜粋して。

・これは頂けない。僕は省略版の本は決して買わない。それは著者の作家性を破壊する行為だ。

・日本生まれの妻から聞いて確認したところ、桐野夏生の「グロテスク」はアメリカの読者にあわせて結末が修正されている。いかに出版社がちょっとでも修正を加えれば、知名度のない著者の本もすごい作品になるなんて思い込んでいるか。ねじまき鳥の全訳版があればどれほど嬉しいだろう。

グロテスク〈上〉 (文春文庫) グロテスク〈下〉 (文春文庫)



・これを読んだことは後悔しないけど、事前にこのことを知っていたら読んでいなかっただろう。小さい文字で”省略版”と記載されているけど、それは章を丸ごと削るっていう意味じゃない。出版社に騙された気分だよ。

・ランダムハウスのページにこの件でルービンの記事があるけど、残念だが僕らが全訳版を手にすることはないようだね。ご忠告感謝。

・言葉では言い表せないくらい頭にくる。私は日本文学読書会を主催しているが、この本は今月の課題作なんだ。その背景を調べるのに時間も費やしたし、すでに2回読んでいる。つい最近に省略されていることを知って、それも二章でおよそ25,000語も英訳版から削られているとは。

・どの本でも唯一受け入れられるのは完訳版(Unabridged)だよ。少しでも削ると作品は価値を損なう。小説は芸術の一つだし、村上のこの英訳版は妥当とは思えない。100ページ(およそ2万5千語)以上もないとは。私はスウェーデン語の全訳版を持っていて、740ページもある。こうでなくちゃいけない。村上のヴィジョンに妥協はなかった。

・どこが違うか知りたい人へ。原書の第三巻の二つの章が含まれていない。その省かれた所のすぐ側の章が、元の順序から外されて別の章の前に来ている。削られた二つの章は岡田トオルと加納クレタの関係や、トオルがクミコの持ち物を燃やすときに、ねじまき鳥の鳴き声を聴くところが詳細に書かれている。日本ではハードカバーと文庫でテキスト内容が変わる。いくつかの国では日本語からでなく、英訳版に基づいて翻訳される。イギリス版とアメリカ版は言葉使いが違うだけで、省略箇所は同じ。

・日本語の構造は英語とかなり違う(日本語は主語-目的語-動詞で、ほとんどの西洋言語の主語-動詞-目的語の順序じゃない)。日本語は、記述するうえでとてもシンプルな言語だ。日本文学の美しさは韻律にあるし、単語の組み合わせ以上の、より優れたものをシンプルに作り出す(※訳者注-たぶん俳句・短歌のこと)。出版社がこれらの小説に削除を強制するのは嫌気がさすけど、村上は多少英語を書いて話せるし、翻訳者と協力して最終的に彼は出版を承諾したんだから。アメリカの沢山の作家も出版前に修正や編集をされている。一度出版を承諾したら(そして前金を貰ったら)、全てが出版社の手中に収まる。だからこの件の唯一の悪党は出版社さ。

・翻訳家は最善を尽くしたと思う。結局、削除を要求したのは出版社なのだから。



全訳されていないことがかなり物議を醸しているようです。

★★★★★「オリジナルで奇っ怪
ねじまき鳥クロニクルは、自発的に仕事を辞めた主人公が、鍋でスパゲッティを茹でている所から始まる。岡田トオルは匿名のいたずら電話を受け流した後、まさにちょうど彼の妻クミコから電話をもらい、彼女の政治家の兄にちなんだ名前の、迷子になった彼らの猫、ワタヤノボルを探してほしいと頼まれる。もし上記を読んで息を飲むほど困惑したら、その後これ以上の出来事があると知って驚くだろう。この迷子の猫は、この深く階層化されたとても奇妙なこの本に、単に動きを与えるためだけの装置だった。
(※かなり詳細なあらすじ略)

この小説は少し脇道に逸れすぎると思う方もいるかも知れないが、それが村上作品の真骨頂である。彼は慎重に計画を立てるのではなく、自由に作品を書いていく形を好むことはよく知られてるが、それ結果的に、トオルを不可欠な接点として、奇妙な出来事とブラックコメディが積み重なっていくような効果を与えている。村上の全作品に繰り返し登場するテーマは未熟さだが、時に彼の仲間についての無垢でシニカルな見方において、トオルの未熟さを感じる。

トオルは行動するよりもむしろ、聞いて見て感じて反応する主人公だ。彼は積極的に追い求めるというより、異様な人たちをやたらと引きつけてしまう。村上の文章は、独特で"西洋的"な感じがするし、彼の登場人物は日本人で日本に住んでいるが、彼らはどこの国の誰にでも当てはまる。

より伝統的な日本の小説をお探しの方には、代わりに他の作家などを覗いてみたらいかがだろう。特に著名な三島由紀夫や太宰治などを。

シュールで広大なねじまき鳥クロニクルは、探偵小説であり歴史的教訓と風刺がある。これは、疎外感、脱落感、言葉に出来ない恐怖感などの村上の主要テーマを、いわゆる”ごく普通の男”トオルの声に重ね合わせた巨大な本だ。信じるかどうかは別として、これはずば抜けた成果であり、その全ては、スパゲッティ一の鍋と迷子の猫から始まっている。



少し批判的なものも。

★★★「愛と憎しみの関係」(ブルックリン)
私はこの本が愛しているし、私はこの本が嫌いだ。これがこの本についてどう感じているかを説明する最良の言葉だと思う。この本について、特定の物事をバラすことなく、自分が感じたことを正確に表現することはとてもできないと思うので、このレビューにはいくつかネタバレが含まれていることをご了承下さい。

これは私が読んだ2つ目の村上の本(最初に愛したものは"世界の終わりと...")です。疑いもなく、ねじまき鳥クロニクルは、まさに読み出したらやめられない本です。しかし残念だけど、いくらページをめくり続けても、実際にどこかへつながるものでもなく、ここに失望してしまう。疑問は未回答のままで、登場人物は姿をくらますし、物事は解釈へのヒントみたいなものもなく、いきなり生じる。

誤解しないでね。私はすべての疑問への完全な解答など期待してない。たまに想像力を使えばいいし。(ネタバレ略) 説明がなくとも、私たちは想像力で補うことができる。潜在意識ですること、人間の性質、現実の本当の姿や行動の成り行きなど。まあ、それらは我慢できる。だけどやっぱり、あまりにも多くのことを私たちの想像力に頼りすぎている。

(疑問がずっと続くので略) 私が理解出来ないのは、なぜ村上は話の上で、ただ跡形もなく消えていくだけの、非常に多くの魅力的な人物を登場させなければならなかったのか。

村上は天才であり、もし彼の本を"理解"できないなら、それは単に賢くないだけだと沢山の人は言うけど、私もアーティストとして、アート界隈などでよくこの態度を目にする。「人は自分がバカに見られるのを恐れて、わからない場合でも、"わかった"と言ってしまう」 これは真実なの。

実に私は、"それがわかる"ほどの賢さは多分ない。だけどこの本は、物語を一章ずつ書いていったように感じる。つまり、村上はこの話がどこに向かうのか、どのように終わるのか皆目見当がつかなかったのは事実よ。

村上の完成への強い衝動、想像力と鮮やかな文体に脱帽。しかし私には正直なところ、彼が非常に重要なメッセージを、彼の本に託して伝えようとしている天才かどうかは甚だ疑問(唯一天才だけが真に理解できるもので、それを要求してるわけじゃない)。彼は単に、重要で意味ありげに思えるたわごとを束ねる能力に長けた、非常に利口な作家にすぎないと、とても強く思う。それでも、彼の書くものは楽しいことは否定しない。だから私は間違いなく、さらに彼の作品を読むでしょうね。



ここでは省きますが、この感想へのコメントの中で頻繁に謎解きがやり取りされています。海外の方も謎解き大好き(わからないことに我慢ならない感じは日本以上)のようです。

以下はその他ランダムに抜粋・編集したものです。

・最も魅了されたところは仏教的側面で、実際に自分の無意識と接触するために、無の境地に向かうところだ。オカダは暗い井戸の底で、"無"にたどり着ける能力に気づく。井戸の中で、著者はオカダの意識の中のとても奇妙な冒険と私たちをつなぐ。この本は恐ろしく簡単に読めるが、その思想はとても複雑だ。村上作品の全てを読みたくなったよ。

・村上ほど巧みに哲学的な問題を上手く扱える作家はそう多くない。その理由の一部は、村上の物語るスタイルだ。彼の文章は、ほとんどの現代アメリカ作家よりアメリカ風だ。彼はレイモンド・カーヴァーやアメリカのハードボイルド小説などを崇拝し、翻訳もしている。

Carver's dozen―レイモンド・カーヴァー傑作選 (中公文庫)



村上は日本全体を包括する、複雑な夢の世界を創造した。そこは過去の戦争の恐怖と、ダンキンドーナツのコーヒーとが混じり合う所だ。この本はヘラーのキャッチ=22のことを少し思い出させる。そこには厳しい現実のなかに、ばかばかしくて理不尽なことが盛り込んであって、笑い声と首を振る懐疑精神で知恵を学んでいく。たとえ村上の文学的体操が終わり近くでよろめいて、完璧な着地に至らなくとも、このショーは十分見る価値がある。

・ねじまき鳥はトオルの人生の礎であり、すっと受け入れて信じてきた現実の全てを失う話だ。彼の人生を取り戻そうとする道中を通して、読者はその個人的な探索以上に、さらに危機に瀕したものがあることに気づく。それは過去の追憶に耽り、麻痺した国家(日本)の危機であると同様、人類のそのものの危機である。村上のひどく意欲的なプロジェクトであり、彼は冷静に見事それをやり遂げる。読者にとって印象深い、感動的な読書体験になるだろう。



最後に興味深い感想を。

・私はこの本を4回くらい読んだ。私はかなり速く本が読めるので、本を読む際によく行なっていることは、まず最初に全体にざっと筋を読んで、2,3回目では著者の企みのほとんどは会話にあるのでそこに集中して、1回目に拾えなかった根拠となる出来事を探す。とにかく3,4回目の読書で、この本は一体何が言いたいのか、その理屈が見えてくる。知りたい人に向けてだけど。この方法は他で見聞きしたことがないから、これが妥当かはわからない。

個人的にだが、村上作品が"異様"なのは、ある特定のリアリズムを試みているからだと思う。村上は潜在意識の手触りを自分の小説に織り込める、ごくわずかな作家の一人だ。私たちの潜在意識は、必ずしも論理的秩序に従ってはいないから、それを"奇妙"に思うが、私たち全員に、その様な秩序を持たない潜在意識があるし、私にとって"普通"の小説はしばしば不完全に思える。なぜならその作者が描くものは、ただ現実にある言葉と物体"だけ"しかないからだ。したがって私にとっては、"潜在意識"の感触と実際の出来事をあわせ持つ小説の方が、より巧みに"現実"を描けていると思う。

とにかく私の仮説として、この本は暴力によるトラウマとその癒しの話であることだ。戦時中のトラウマ的な出来事は暴力の悪循環を生み出し、それは登場人物の多くの生活の中で、東京の現実世界と潜在意識の世界の中で繰り返された。そこで主人公がやって来て、それによって被害を受けた人々を"癒し"、調和を回復するためにその加害者に立ち向かい、破壊する。

アメリカに住んでいる私はそれを非常に興味深いと思った。我々はベトナムで同じような経験をしている。何百万人のアメリカ人(兵士とその家族)が肉体的・精神的に傷ついた出来事だった。

私は非常に多くの映画を見てきた(ジェイコブス・ラダーのような)。ベトナム戦争の後遺症とその対処法、戦争の暴力が、兵士たちからその家族に持ち込まれたことを扱ったものなど。しかし村上が取った手法とそれらが同じだと言いたいのではない。

ジェイコブス・ラダー [DVD]



このように私は実にこの本が大好きだ。私は数年間施設で働いていたが、ベトナムへ送られた、非常に多くの男たちがいた。潜在意識の世界に入って人を癒したり、何度も何度も、繰り返し生み出され続ける暴力の連鎖を止める方法があるという考えに私は心を奪われた。実際、このアイデアは(心理的、精神的治療の形で)人々の回復支援の最も重要な方法の一つであると思うし、いま実際に研究されているのではないか(PTSDの全ての研究で)。

この感想がどなたかに伝わっているでしょうか?



世界を癒す村上作品。ノーベル文学賞候補の理由がここにあるのでは。

以上です、ではまた。


The Wind-Up Bird Chronicle
Haruki Murakami
Vintage Books
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英訳版のオーディオブックも出てます。8枚組だとか。これは語学学習の強い味方です。私は「象の消滅」のオーディオブックを聴いています。
The Wind-up Bird Chronicle (The Complete Classics)
Haruki Murakami
Naxos Audio Books (2006-08-28)
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