マルカム・ラウリー「火山の下」 の英米アマゾン評価レビューの和訳








ガルシア・マルケスや大江健三郎が愛読したといわれる伝説の作品が絶版後、数十年ぶりに再訳されました。

個人的にすごく思い入れのある作品ですが、旧訳は10人がかりで訳されたとか、新訳も5、6人もの人が絡んでいます。それだけ難解であり、はたしてちゃんと日本人の私にまともに理解できるのか不安なので、海外の感想を覗いてみました。

ネタバレを含みますので、未読の方はご注意下さい。 まず米アマゾン評から。現時点総92レビューで、星平均3.8です。

★★★★★ 「最高に好きな本の一つ
『火山の下』は絶望についての驚くべき小説で、今まで読んだ中でもっとも衝撃的で喚起力のある文章だ。この小説はアルコール中毒のメキシコ駐在領事の一日の人生をたどり、彼は人生や愛や魂の救済を信じていない。話のペースは、徐々にこの信じられぬほど洞察力にみちた男の、その不安定な足取りをたどっていく内容に見事フィットしている。私はその美しい文章に驚き、鮮明な画像のようなイメージが伝わってくる。...この本に寄り添えば、すっとあなたの心に残り続けるだろう。



本当に描写がビビッドなんですよね。たった一日の話ですが、長い旅の始まりです。

★★★★★ 「美しき外見、謎に満ちた深み」(ワシントン州ベルビュー)
火山の下は、メキシコのクワウナワク駐在のイギリス領事官の最後の一日の記録である。おもとして彼の元妻のイヴォンヌと腹違いの弟ヒューが、彼の陥るアルコール中毒から救い出そうとする話だ。その一日の経過の中で、彼らはクアウナワクのあちこちを訪ねる。

その記述的な描写に舞台に活気を与え、実際にその場所を見ているような感じを読者に与える。小さな公園、マクシミリアン宮殿跡、映画館、領事の家の裏庭、そして巨大な火山ポポカテペトル。彼らがその景色のなかを歩き回るとき、その山は現れては消え、伸びたり縮んだりするのだ。ラウリーの素晴らしい考察の中では、全ての描写が現実と化す。

ジョイスに触発されて、この本はユリシーズに類似した点がいくつかある。第一章を除いて、全てがある一日の中の出来事である。1938年11月1日 ('死者の日'と呼ばれるメキシコの休日)3人の主要な登場人物の、二人の男と、ひとりの女が土地をさまよう。しかしユリシーズはひどく難解で、面白さの大部分が表層以外のところにあるが、「火山の下」は読みやすく、詳細に読み込まずとも非常に満足できる。

もちろんこの本の深い意味について書かれたものもたくさんあるが、もっとも明らかなのは戦争にひた走るヨーロッパについての寓話なのだと思う。それは領事が、理想を守ろうとする人々の努力にかかわらず、それでも破壊に突き進む旧ヨーロッパを表していること。または、より正確にいえば領事の無意味な死への転落は、第二次大戦のヨーロッパ諸国の無意味な破壊的侵攻になぞらえる。それは日がすすむに連れて朝の輝やく希望が陰り、太陽が絶望の闇のなかへ、そして夜に引き摺られた嵐のなかへ沈み込むように。

パワフルで徹底的に楽しめるし、再読する価値ある本だ。



ちなみに死者の日というのは、先祖の魂を迎えるお祭りのあいだ飲んだり騒いだりするラテン版お盆のようなものです。読みやすい、徹底的に楽しめるなんて感想もありますが、気軽にはお勧めできませんね、個人的には。でも海外でとりあげられる世界文学100冊とかにもよく入る作品です。

★★★★★『俺は地獄を愛している。そこへ帰るのが待ち切れないんだ』(ニューイングランド)
ジェフリー・ファーミンは、先のメキシコ駐在のイギリス領事官でアルコールに囚われている。彼は飲んだ量をいつも秘密にしているが、震えに蝕まれてその場にいない人の話し声が聞こえ幻覚が見えるほど。”まさに道に寝転がったとしても、決してふらつくことはない”。1938年死者の日、最近離婚した妻のイヴォンヌが、煙を吐き続ける2つの火山のもと、彼と和解しようと説得をしにクワウナワクに帰ってきた。

同時に、どうもイヴォンヌとつかの間の関係のあるジェフリーの腹違いの弟ヒューもその日に到着し、3人は各々の過去を取り戻すことを望んでいた。彼らが闘牛を観にトマリン行きのバスに乗ったとき、傷ついた農夫が道で死にかけているを見る。農夫の馬は臀部に数字の7の焼印が押されていたり、狡猾な盗人や自警団グループなどすべてがその後の結末に向けての伏線となる。

ディティールに富み、外部世界のクワウナワクとジェフリーの内面世界の両方を併せ持つ、1947年に最初に出版されたこの小説は、ラウリーのアルコール中毒である自分の経験を反映している。完璧に造形された登場人物であるジェフリーは、上手く職分を果たすために酒をやめなければならないことを知っているが、酒なしではまともに機能しない。彼が愛し、軽蔑もするイヴォンヌはメキシコを去りたくもあり残りたくもある。そして安らぎを見つけたいが混乱も生み出してしまう。

ラウリーがこのジェフリーの一日の人生を再現する際に、死者の日という言葉を象徴するものが、抗えぬ運命の予感を広げている。烟る火山が今にも噴火しそうで、”恐ろしいパリアンの犬”が、ジェフリーとイヴォンヌを家までつけ回す。峡谷(裂け目)が家のそばにあり、犬の死体が投げ込まれ、インディオが”過去の重荷”を運んでいる。森の中のハゲタカ、イヴォンヌが籠から放したワシ、そして突然の嵐。その全てがこの強力で破滅的な物語に重力(貫禄)と強度を与えている。

この小説の400ページにわたって、気の滅入る話題と苛立たしいほど自分を救うこともしない主人公にかかわらず、言葉と構成ともども息を呑むような優美さがある。プロットは注意深く練られて、溢れる独特のイメージは新たな地平に持ちこまれ、それに命を与える象徴的表現が作品をより高めている。それに読者は衝撃を受けるし、避けられぬ運命が幕を閉じるとき、小説は古典的悲劇(神話)に近づいていく。

この小説は当時の政治的な問題を含んでいるが--メキシコの不安定さとファシズムと社会主義間の思想的対立--、主にエデンの園の変奏曲であり、落ちていく男の話である--身に沁みいる悲しさにもかかわらず、とても豊かで密度があり、読み応えのある作品である。



話は大して進まず、身の回りの描写や思考が延々と続いたりするのでジェットコースター的展開に慣れた人にはえてして退屈に思えるかも知れません。でもジェフリーの身を切るような切なさはどこから来ているのか、そこを丹念に追っていくといいかもしれません。

★★★★★「20世紀の悲劇の男」(オーストラリア ニューサウスウェールズ州)
人はなぜ突然銃を使ったり、じわじわと酒とかの別の方法で自己破壊に向かうのか?なぜナチの強制収容所でほぼ自殺がなかったのか?カミュは、たった一つの重要で哲学的な問題、それは自殺(的行為)であると主張している。『火山の下』の主人公、ジェフリー・ファーミンは”なぜ俺はここにいるのだと静寂が問いかけ、俺は何をしたのだと虚空がこだまし、なぜこんなに落ちぶれてしまったのか”(新訳P449)と思いつめる。

迷信や不可解で異様な出来事に満ち、火山の麓でメキシコの死者の日が始まる。ギター音が響き、犬の死体や不思議の国のアリスのような幻覚的なカーニバルを彷彿とするイメージで、色彩、戦慄、残響などの雰囲気にみちた小説。”チリンチリンという風鈴の音色にも似た、この世のものとは思えぬ音が二人の耳にとどく”(P425)。”黒いハゲタカが木々の間をすり抜けるように屋根の上空ぎりぎりのところをかすめ、そのこもってしわがれた声は愛の叫びに似ていた”(P193)。そして”考えてみればすごいことだが、人間の精神ってのは屠殺場の影が落ちるところでも花を咲かせることができるのさ”(P113)というような見事に的を射た洞察。入念に練られた物語は見事で、深く心動かされる本作品は20世紀を代表する偉大な小説の一つであることは間違いない。



あとPerennial版を買うのは控えたほうがいいなんてコメもあります。印字間違いが結構あるとのことです。あとちょっと否定的な感想も。

★★★「拷問のようだし、話が捻くれている!」 (バーモント州サットン)
~略~
ファーミンの錯乱状態、幻覚や異常な妄想の描写などを読めば、確かにラウリーは地獄の奥底から戦慄をもぎ取ってきた。しかしこの本は主人公と同様、安定感や一貫性がない。これをうけてジェフリーは言うまでもなく、死者の日という状況そのものが破滅に向かって突き進み、著しく制御不能に陥っている。
~略~

この本は(ほとんどずっと)読むのが苦痛で話は入り組んでいるが、ラウリーは力強くてリズミカルな散文を書く。文章の多くは非常に読むのに骨が折れるし、たとえば第三章の始まりなどは長くて入り組んで複雑だし、ほかのいくつかの節にもねじれや読んでいて苦痛なところがある。
~略~

ラウリーにとって「火山の下」を書くことは、いわば強制的に下剤を飲んで吐き出したようなものだし、間違いなくカルト的な古典作品だが、圧倒的大多数の知的読者はほぼ読む必要もないであろう。



あらすじみたいな他と被るところは端折ります。上記の感想が一般的なのもだと思います。長い間絶版になっていましたし。自分のことのように読めないと、この作品は読み通せないかもしれません。でもこういう作品でしか救われない人もいます。

あと英アマゾンから。これも厳しい意見。

★「警告:言葉の暴発」(オーストラリア)
『全世代の予言書」的古典作品に最低点をつけるのは、ひどく僭越でおこがましいのは承知の上です。小説マニアを自認してる方々は傑作っていうし、表紙カバーにもそう書いてあるけどご注意を。ラウリー自身、”初っ端から退屈”と認めているから(解説から引用)。

退屈なんてもんじゃない。話がまったく進まないの。 ~あらすじ略~  舞台としてメキシコの死者の日の記述に何ページも割かれてるけど、話の筋に何の関連もないしどこもこんな感じ。まあ私の印象だけど、『火山の下』のこのまともな理解を拒絶するようなところがまさに人気の理由なのよ。

文章がそれほど分かりにくくなければよかったのかも。段落の区切りなくページが続き、支離滅裂な本文と延々と続く文章、筋を追うのに何度も何度も戻らなければいけないの。ときに独白を重ねてごたまぜになったり、半分くらい背景の騒音と領事のアルコール禁断症状での政治的文学的な説明なんかが混じったり。増長する文体、そう呼んでいいと思う。意図があって難解になる作家:たとえばフォークナーやヴァージニア・ウルフとか;その難解さは目的があればこそで、内なる声を具現化するために、読者を登場人物の精神構造に直結させるためであり、キャラクターが生きて現実にいるかのように感じさせ、語らせるためのものだしね。ラウリーの文章はそこまでに達してない。気取っていてぎこちなく、自分に酔ったような、作家気取りの、読者のことは考えず、アートでございます的な。

最後に、たぶん『火山の下』の膠着した文章は酔った状況を演出してるのよ。自分が酔った状態がどんなかを思えばね。まあ私は知的でも何でもないから。



難解さが人気の理由。エヴァとかもそうだし、ドグラ・マグラとかもそういう部分はありますよね。でもラウリーはこう書かざるを得なかったのです。

★★★★★『親友には決しておすすめしない』(英国 グラスゴー)
個人的な確信だけどきっとマルカム・ラウリーは他の章を書く前に最後の第十二章から書いたはず。で、助言として最終章から読み始めることをお勧めします。(助言なんてしている僕って一体?ラウリー自身はこの本は20回読む必要があるっていってるし、僕はたった十数回しか読んでないから)これから読む人は最後の12章から読み始めるとベストだと思う。

それともう一つ。ラウリーはこの巨大な全編を、彼の我慢強い奥さんや数人の友だちに大声で読み聞かせていた。つまりこの小説の一つ一つの言葉は音読されているんだ。だから君も仲間なんかと交代で読み合うといいよ。やがて著者の声に同調して、この本の悲劇なページのすべてを通して、その声が明瞭に聞こえてくると思うから。

さらにもう一つ。章の順番を逆から読んでみては?ラウリーは他人がどう読もうが気にしちゃいないさ、だって死んじゃってるし!それとラウリーは作家として才能があったとはいえないかもしれないけど、この本に愛情をこめてたくさんのものを注ぎ込んで、この小説自体に有機的な生命が宿っていると思っていて、それが内臓なんかもあってさ、AからB、BからAとか動きまわったりして、近所の人を怖がらせようとして、それを紐につないで散歩でもしようかなんて考えていたんだよ。

この小説は『闇の奥』や『キャナリー・ロウ』や『キャッチ22』とともに今から50年から100年のあいだ読み継がれるのだろうか?そんなこと誰も分からないし、その頃は僕も死んでるし、どうだっていい。この本にはとてもたくさんの生命が溢れてるし、たとえ嫌いになってもそれは僕にとって大切な友人だ。非難が僕を燃やし尽くそうとするとき、その命は僕の心の箱のなかにある。”イヴォンヌとファロリート(酒場)両方に忠誠を誓うことは可能か?” それは君が決めるんだ。それじゃハガキに書いたその答えを僕に送ってくれよな。

闇の奥 (光文社古典新訳文庫) Cannery Row キャッチ=22 上 (ハヤカワ文庫 NV 133)




これはかなり読み込んだ感想ですね。 文章のリズムや響きの美しさはラウリーは奥さん友人知人の犠牲のお陰だったのかw。こんな長い滅入る話に付き合わされるのはさぞ大変でしたでしょうね。それとちょうど今音読に挑戦中なのです。

「超音読」英語勉強法 留学経験なし! だけどTOEIC テスト満点!



この本からは発音できない英語は聞き取れないという、よく考えればあたりまえでとても重要なことをいまさら教えて頂きましたw。どうりでいくらラジオで英語聴いても一向にリスニングは向上しなかったはず。聞き取れなければ、ただのノイズとしてしか感じていないとか。同じ英文を何十回も読んでネイティブと同じスピードで話せるくらい音読すること。本当にもっと早く音読の価値に気づいていたならと。読んで目からウロコでした。それに英語音読って気持ちいいんですよね。下手でも。

グレートギャッツビーもそうなんですけと読んでてリズムが気持ちいいんですよね。詩人でもあるので言葉の響きやリズム、漂う雰囲気なんかは原文でしか味わえないかと。筋や言わんとすることはいくら伝えられても、三島や谷崎、芥川の文章とか俳句の味わいやリズムを英語で訳しようもないのと同じかと。

話を戻して、火山の下は個人的には最終章からから読んでも問題ないと思います。なかなか読み通せないかもしれませんから。結末はまあ言わずとも想像できますでしょう。逆から読むのもいいけど、第十一章を最後に読むのがいいと個人的には思います。

あと登場人物に自分の命を分け与えているような感じは理解できますね。たしかに酒とこの作品を書くことで寿命を縮めたかもしれませんね。

まあすごく読者を選ぶことは確かです。でもまともにちゃんと生きている人ほど、破滅願望があるのではないでしょうか。そういった方はこれを読むとちょっとしたカタルシスを味わえるかもしれません。

誤訳多数もあしからず。まずは一発目なのでちょっと私見が多いですね。以降はなるべく黒子に徹しようと思います。

以上です、ではまた。


Under the Volcano (Penguin Modern Classics)
Malcolm Lowry
Penguin Classics

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